壁アドベントカレンダー2025 2日目の記事です。
https://x.com/jellied_unagi/status/814510651360083968?s=46&t=uaZq8xzvUitRDkOGAy3b3Q
「研勉簡」という思想がある。「研究をしなさい、勉強は簡単」の略であり、知識の吸収だけでなく創出が重要であることを説いている。個人的にもその通りだなと思い、研究をしてきた。
研究で結果が出れば、それを論文にするのは自然な流れだろう。コンピュータサイエンスのいくつかの分野では査読が破綻してしまっているが、いわゆるトップジャーナル・カンファレンスで出版される論文は、依然として研究者のキャリアを支える重要な業績とみなされている。就職や転職、あるいはグラントプロポーザルなど、論文業績を記入する機会は多い。
ところが最近の風潮は「社会実装をしなさい、論文は簡単(社論簡)」である。論文を出しただけで終わってしまうと、そのアウトプットは研究者にしか届かない。組織としては当然その先にある製品やサービスなど、より広い層へと成果を普及させるアウトカムが必要となる。研勉簡は研究者個人への教えだが、社論簡は組織に課せられたミッションである。とはいえ、組織が社論簡を実践できるように、研究者個人もフォロワーシップを発揮する必要がある。
誤解のないように言うと、論文そのものが悪いのではない。分野によっては、実世界の現場に技術を導入し、その効果を検証する論文を高く評価するケースもある。論文の質を上げるための努力と社会実装のための努力がおよそ一致しており、応用研究で何か書くならこういう論文を書きたい。一方で「N種類のパブリックデータセットでM種類の手法のベンチマークを取る」「40問の質問に答える」といった過剰な査読対応は、果たして有効な時間の使い方なのだろうか。その時間は社論簡——企業研究者であればプロダクトチームのために、アカデミアであればアウトリーチ活動のために、丸ごと差し出すべきではないか?
なんにせよ、研究者としてキャリアを進めていると、どこかのタイミングで「研究者だけではできないサイズの仕事」に向き合う必要が出てくる。仮に論文を出すことだけがミッションだったとしても、視座を2段階上げて、より大きな組織・プロジェクトの中で自分の研究を位置付けつつ、マイルストンの一つとして論文を出すマインドが必要になる。今日からできる、社論簡へのフォロワーシップの第一歩だ。
繰り返しになるが、論文そのものが悪いのではない。マイルストンの一つとして論文を出すべきタイミング自体は存在する。その際に、妥当な投稿先を見つけ、質の高い論文を書き、採択されるだけの実力は必要である。研究を生業とする者の責務だ。
えっじゃあ何すか???研究者はただ論文書いてるだけではダメだけど、でも論文は書けないといけないってことすか?????トップカンファ出した通っただけでキャッキャしてたあの頃は戻ってこないってとですか???????そうでーーーーす!!!それはもっと若い世代がやるべきことなので!!!!!!!!!
https://x.com/jellied_unagi/status/958622139401121792?s=46&t=uaZq8xzvUitRDkOGAy3b3Q